【第四話】若き血の洗礼と、大学という「孤独」への焦り。

こんにちは。Austinです。

大学0年生のモラトリアムを終え、いよいよ迎えた4月。
しかし、僕の大学生活は「万全」とは程遠い、病み上がりのフラフラな状態で幕を開けました。

日吉記念館での洗礼

入学式の直前、僕は体調を崩していました。原因は春休みの浮かれによる油断です。卒業して大人になったつもりでも、体はまだ受験を終えたばかりの消耗した状態のままでした。

当日は高校の友人と合流し、なんとか記念写真を撮って日吉記念館へ。 そこで待ち構えていたのは、僕が全くイメージしていなかった「慶應」という伝統の洗礼でした。

應援團による独特の進行や、「そうだ!」という地鳴りのような掛け声。 中でも一番の衝撃は、カレッジソング「若き血」の合唱です。 全く知らない歌を、周囲の学生たちが当然のように歌い上げる光景。隣にいた高校の同級生までもがすでに口ずさんでいるのを見て、僕は「自分はとんでもない場所に来てしまったのかもしれない」という強烈な疎外感を覚えました。

「選ぶ」ことを放棄した新歓期間

入学式後の新歓(サークル勧誘)は、人見知りの僕にとって地獄のような環境でした。 病み上がりで体力も精神力も削られていた僕は、一人で行動することに猛烈な恐怖を感じていました。

当時の僕がサークルに求めていたのは、以下の3つの漠然とした理想です。

  • 何にも入らないのはもったいない
  • スポーツ系は楽しそう
  • 飲み会が激しいところは嫌だ

結局、深く考える余裕も戦略を練る気力もなかった僕は、高校の友人が入るというサークルに、それらしい理由をつけてついていくだけでした。

結果として、未経験OKで飲みもない健全なバレーボールサークルに入会。サークル自体に非はありませんが、そこには納得して選んだという感覚はなく、ただ一人になるのが怖いという消去法的な選択しかありませんでした。

大学1年目の自分への伝言

もし、あの時ベッドで寝込んでいた自分に声をかけるなら、僕はこう言います。

「焦るな。落ち着け。死にはしない!」

高校時代の僕は、少数派でも平気な、自分の軸を持った人間だと思っていました。 でも、それは自分を知っている友達が大勢いるというセーフティネットがあったからこそ成立していた強がりでした。

誰も自分を知らない、後ろ盾のない大学という荒野で一人になることは、高校時代の一人行動とは全く別次元の重さがあります。 当時の僕はその違いを言語化できず、ただ焦って集団に逃げ込んでしまいました。

「間違えた」と思ったら、いつでも引き返せる

今振り返ると、大学生活の最大の価値は「何度でもやり直せること」にある気がします。

焦って選んだサークルや、なんとなく合わせてしまった人間関係。それらは致命的なミスではなく、ただの「試行錯誤」です。違和感に気づいた瞬間に足を止めて、別の道を選び直す。そんな贅沢な自由が許されているのは、人生で今この期間だけです。

だから結局、「どんどん挑戦しよう」というありきたりな結論に行き着くのですが、その言葉の本質は以下だと考えています

  • 挑戦してハマったなら、それが本来の自分
  • 挑戦してハマらなかったなら、それもまた本来の自分

つまり、挑戦は成功させるためのものではなく、「自分という人間のサンプル」を採集するための作業なんです。

最初から完璧に動ける人なんていません。誰もが模索中です。 僕もこの後、自分という人間を知るために、色々なことに手を出していきますが、それはまだ先のお話。

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サークルの新歓と並んで大学の授業も進んでいきます。

第二外国語のクラスで出会った、自分と同じく「出遅れた」自覚を持つ二人の友人。彼らと過ごす中で、無理に周りに合わせるのをやめて、自分という人間の性質をようやく認め始めた頃の話です。

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